新聞記事

68. 「ゆとり教育」の再挑戦

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こんばんは!田畑です。

 

今日は6/9(日)の北日本新聞の記事についてのお話です。

 

平成の教育で大きな変化が生まれたといえば、詰め込み教育から個性を重視した教育へと転換を図った「ゆとり教育」です。明治、大正、昭和と国家として強くなるために個人の「やるべきことが決まっていた」時代は詰め込み教育が広く行われていました。しかし、敗戦後の高度経済成長期頃からバブル崩壊直前の頃にかけて人々の間で「大学に行けば安泰」という考え方に疑問が生じ始めました。

バブルがはじけて始まった平成の時代では「ゆとり教育」によって本人の学ぶ意欲を重視し、能力や適性、興味、関心に応じて自分が得意だと思うものに取り組む「ゆとり」を作るために授業時間を減らし、週休2日にすることで子どもたちに社会に出て学ぶ機会を設けられるようにしました。

しかし2002年ごろから学力低下の批判が出るようになってきて論争が勃発。文部科学省も少しずつ学習量の増加に舵を切っていくことになります。僕自身もゆとり世代なのですが、自分が興味あることに取り組む「総合学習」の時間にはハリー・ポッターが好きだったことからイギリスについて詳しく調査して発表するという経験をしました。とても楽しかったし有意義な教育だったなと思っています。

 

 

さて、今回の記事で大切なことは「ゆとり教育」は「不確実な未来を生き抜くための力をつける」ことを目的としていたということです。これは2020年の教育改革の1つとして掲げられている「主体的・対話的で深い学び」の行きつく先の目標と同じと言えます。つまり、あの「ゆとり教育」に傾いた教育改革を行おうとしているわけです。果たして今回の教育改革は「ゆとり教育」の二の舞にならないのか?目標と行動と結果を一直線に結ぶ計画、そして実行、見直しをスピーディーに行っていかなければなりません。僕が先日述べた「最低限の基礎学力」はICT教育によって個人に合わせてより効率よく身につけられるようになるでしょう。

 

では、学校や地域、そして学習塾はどのような役割を果たしていけばいいのか?今回の記事でインタビューを受けている元文部官僚の寺脇さんは「自分の生活について考える家庭科のような科目。体について考える保健体育。心について考える道徳や倫理、哲学。今後はそういったものがカギを握ってくる」とおっしゃっています。僕としては家庭の中で学ぶことも多くあるはずですし、学校のような同年代が多く集まるという新たな組織の中での学びもあると思っています。そして学習塾も子どもたちに「どんな経験をさせるか」を改めて考え、新たな種類のサービスを掲げていく必要があると思っています。

 

愉開塾としては今は僕自身がボードゲームの楽しさ、知育玩具としての質の高さをより多くの人に広げていきたいと思っています。また、交友関係には多くの職種の友人がいるのでそういった人たちと子どもたちとの交流会を設けて子どもたちの視野を広げられる活動も将来的には行っていきたいと思っています。

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