新聞記事

49. 「普通科」がなくなる!?

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こんにちは!田畑です。

今日は北日本新聞に載っていた記事に関するお話をします。

 

5月17日に政府の教育再生実行会議が開かれ、全国の約7割の高校生が在籍する「普通科」の学びを転換していく普通科改革などを柱とする第11次提言が官邸に提出されたそうです。

 

提言内容の要旨は以下のようです。

・高校普通科改革…下記で詳しくお話しします

・大学入試…文系理系に偏らずバランスよく資質・能力を身につけられるようにする

・新しい学びの対応…ICTを活用した学習

・遠隔教育…学校規模や地理的要因にとらわれずに教育の質を高める

 

今回は「高校普通科改革」について詳しく考えていきましょう。

『全ての高校で、教育理念を明確化し…(中略)…普通科について、国は、各校が選択可能な学習の方向性に基づいた類型の枠組みを示す。』と記事では述べられていて、類型の例として『①予測不可能な社会を生き抜くためのキャリアをデザインする力の育成②グローバルに活躍するリーダーの素養の育成③サイエンスやテクノロジーの分野において費や口を発見する素養の育成④地域課題の解決を通じた探求的な学び』などが考えられているそうです。

 

この改革に対して僕の意見としては大賛成です。

僕も普通科を卒業した人間ですが「そもそも普通科ってなんだ?」って今更ながらに疑問を感じます。僕が学生だったときは「高校は普通科の場合は大学進学への準備する科、商業科などは就職や専門学校への準備する科」というイメージでした。そして大学に対しても「良い就職先につくためにさらに教養を深める場所」というイメージを持っていました。モラトリアムなんて言葉も流行っていたように感じます。

しかし、高校→大学への流れが一般的になってきている風潮を一度見つめなおさなければならないと僕は思っています。「未成年には判断力がまだないから…」といって大学で時間を過ごさせて、そこまで大きな力をつけたわけでもなく卒業した後に会社員になって働くなんて流れがあるから(一概には言えませんが)晩婚化も少子化も進んでいっているのではないかと思います。

時代をさかのぼるほど、「成人」という基準の年齢は低い傾向にあります。成人年齢が上がっていった理由は年長者が自分たちの判断力がついてきた時期が基準の年齢より上だったように感じているからだと思います。

 

…いやいや、判断力を早くつけられるような教育を考えればいいんじゃないですか…???ってことでそれを制度化して「高校生の時にはある程度進路を確定します。ビジネスでキャリアを積んでいったり、組織でリーダーとして統率をとれるようなスキルを磨いたり、学問の最先端を追求して人類の新たな英知を見つけたり、といった道があるから選んでね!」という選択をせまる決まりを作ってしまえば、人々は「じゃぁ中学生までにある程度のことを教えてあげなければならないな」と思うはずです。これによって小中学の義務教育の教育内容も変化を起こさざるを得ません。

 

 

僕は人生において「無駄なことをする」ということはとても大切なことだと思っています。なぜならその「無駄なこと」が生活のあらゆる場面でインスピレーションとなって影響を及ぼし、個性を生み出したり、心の豊かさを形成すると思っているからです。しかしその「無駄なこと」は同時に「やりたくてやっている無駄なこと」でなければならないとも思っています。ポジティブな気持ちでやっていないとインスピレーションには繋がらないとも思っているからです。

 

「高校普通科」に3年間通って「それなりの大学」を出て「生活していけそうな会社に勤める」という「社会に自分の人生を預ける」ような道を歩いてはいけないように思うのです。もっと能動的に「社会に影響を与えてやる!」というような自己表現をしていけるような教育になっていったらいいなと思います。

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